途中何度か立ち止まったり、寄り道をしながら、ずっと教育関係の仕事(英語・日本語教師&米軍基地日本語・日本文化教育プログラム指導主事)に携わってきました。
「困っている人を助けたい」
そんな思いから、2022年3月、仕事を辞めてボランティアのコミュニティサロンを設立しようと思い立ちました。
とはいえ、予想通りに物事が進まないのが世の常。
以前、占い師に「あなたは仕事を転々としながら、その都度新しい力を身につけて、どんどんステップアップし、やがて自分の目指すところにたどり着きます」と言われたことがありますが、どうやら今の私は、まだ最終地点に至る道の途上にいるようです。
今の私になるまで
幼少期
私の母は負けん気の強い人です。
祖母もそうでした。
似た者同士とはいえ、基本は他人なので、ぶつかると火花が散ります。
それがある日の夕方、大爆発を起こしました。
私はその時、初めて母が泣くのを見ました。
その上、母は家を飛び出しました。まだ幼稚園にも行っていなかった一番下の妹でも、見た目が母によく似ている真ん中の妹でもなく、私だけを連れて。
「もうあんなとこには帰らない。これからは○○(母の実家)で暮らそう」
そう言う母に連れられて、私は暗い中、近所をぐるぐると歩き回りました。
はっきり言って、大ショックでした。強いと思っていた母が泣いたことも、3人の子どもの中から私だけ連れ出されたことも…。
結局、1時間後くらいには仕事から帰ってきた父になだめられ、ふたりともうちに帰りました。
その夜、大人同士の間でどんな会話があったかはわかりません。
けれど次の日の朝にはまるで何事もなかったかのように、日常が戻っていました。
たった1つの例外を除いて。
私はそれ以来、常に周囲にアンテナを張り巡らし、ちょっとでももめ事が起きそうな気配を感じると、間に入って道化🤪を演じるようになりました。
小中学校時代
小中学生のころ、私には親友と呼べる相手もいなければ、仲良しグループにも入れませんでした。
「みんなに嫌われているんだ」
そう思った私は、自分に自信が持てず、相手に気に入られようと、好きでもないことをしたり、話を合わせたりしていました。
高校・大学のころ
それが、高校に入学してしばらくたつと、「もしかして嫌われてるわけじゃないかも」と思うようになりました。
何をしたわけでもないのに、なぜか周りに人が集まるようになったからです。
彼氏ができたことも自信につながりました。
これまでひたすら隠してきた個性や考えを、少しずつ見せるようになりました。
ただ、それでもまだ高校の三者面談で進学先をきかれたとき、「東京外大に行きたい」とは言えませんでした。先に父が「将来は教員になってくれるといい」と言うのを聞いてしまったので。
しかも、下に妹2人がいて、同じように大学進学を希望するだろうことを考えると、私には島根大学の教育学部以外に選択肢はありませんでした。(「東大に行けるなら行かせてやる」とは言われましたが…。😅)
教育学部の中でも第一志望の課(中学英語専攻)に合格し、大学でひとり暮らしを始めると、両親の目が届かなくなったことで、ようやくありのままの自分をさらけ出すようになりました。
そしてその頃から他人に何を言われようと、どう思われようと、
- 違法なことはしない
- 意図的に他人を傷つけない、迷惑をかけない
- 良きソマリア人であれ
この3つさえ意識していれば、「自分らしく、自分の望むままに生きてもいいのでは?」と思うようになりました。🧐
英語教師になったわけ
実は、4年かけてすっかり自分らしく生きることに慣れた私は、就職先として都内の翻訳会社を選び、内定ももらっていました。
にもかかわらず、島根で教員になったのは母がおかしくなったからです。
ある日、大学の友人に自宅での夕飯に招待され、喜んで向かうと、なんと母が「どこでどう子育てを間違ったのか」「心労で息をするのも苦しい」と涙ながらに訴えてきたと知らされました。
幼いころの記憶がよみがえり、自分らしく生きることはあきらめました。(もっとも、1年であきらめることはやめましたが…。😆)
アメリカとのかかわり
私が初めてアメリカ(人)と出会ったのは、遡ること50年、ハワイに短期留学していた叔父が、我が家に友人を招いた時でした。
名前はケンさん。ほかに覚えているのは一緒に近所を散歩したことと、とてもやさしい人だったこと。
ほんの1週間ほどの滞在だったと思いますが、幼稚園児が「将来はアメリカ人と結婚する😍」と心に決めるのには十分な長さでした。
東京外大に行って通訳になりたいと思っていたのも、たぶん根底にそんな幼い日の思いがあったからだと思います。
大学時代には、アメリカの姉妹校から来た交換留学生と親しくしていました。
当時付き合っていた彼氏が1年間アメリカに留学した時は、そのツテを頼って、ワシントン州で1か月のホームステイやグレイハウンド(夜行の長距離バス)でのサンフランシスコ旅行も体験しました。
運悪く島根で教職に就いた時には、外国人助手のアメリカ人と仲良くしていました。
筑波大学で日本語教育関係の授業を取っていた時は、アメリカ人に限らず、オーストラリア・マレーシア・韓国・インドからの留学生たちと親しくなりました。
(大学を卒業してからの経歴については「人脈に恵まれないのは運のせい⁉体験談から学ぶ仕事運を上げる自己啓発法」で詳しく紹介しています。)
その頃にはもう「何人だろうと、何才だろうと、男だろうと女だろうと、ゲイだろうとストレートだろうと、人は人。気の合う人もいれば、合わない人もいる」と考えていました。
今の私:自分らしさ
私はよく日本人の知人から「変わってるね」と言われます。
いったい誰と比べて変わってるのでしょうか。
50代前半で仕事を辞めたときには「もったいない」と言われました。
「給料もいいし、うまくやってるし」と…。
確かにそうかもしれません。
けれど、私の基準は私で、ほとんど変わり映えのない仕事を続けることは、まったく私らしくありません。
私には常に新たな学びや挑戦が必要です。
自分らしくいられるのなら、変わり者だと思われようがまったくかまいません。
私の取扱説明書
「自分らしさ」というのは、「自己認識(自分で自分をどう思っているか)」です。
私は自分のことをこんな人間だと思っています。
◆仕様(価値観・特徴)
- ポジティブ思考
- 平和主義(争いごとは可能な限り避ける)
- 欲や執着心が少ない(来るもの拒まず、去る者負わず)
- 生涯学習者(チャレンジ大好き・学ぶの大好き)
- 自己肯定感が高い
- 客観的・論理的
- 縁の下の力持ち
- 親切(ときにおせっかい)
- 21世紀型スキル(創造性・批判的思考と問題解決能力・コミュニケーション能力と協調性・向上・革新力とリーダーシップ力・情報の収集・分析・利用力・多様性への適応能力)が高い
◆用途
- 調べ物を手伝ってほしい
- 教育関係のメンターになってほしい
- 話をきいたり、相談に乗ってほしい
- 頭の中を整理したい
- ストレスを軽減したい
◆使用上の注意
- 使用に際して、プライバシーの侵害やパーソナルスペースへの侵入はお断り
- 違法行為や迷惑行為、悪意ある行為につながる使用は禁止する
- 使用中、命の危険や安全上問題があると判断された場合は、即刻使用を中止する
- こちらの品質を損なったり、風評といった評判を貶める使用には、法的に対処する
- 不正または不適切な使用により損害が発生しても、責任を負わない
これからの私
「まなまなSalon」は「年齢も性別も国籍も種族(?)も超えた人たちが集まって、互いに学びあい、喜びや楽しみを分かち合えるコミュニティサロン」です。
その実現に向け、
- 『まなまなライフ』(当サイト)
- ブログによる情報発信
- デジタル素材の提供
- 「ごみ箱・相談フォーム」
- オンライン個別相談室「おきらっく」
- オンラインショップ『まなまなCraft-ハンドメイドと自然素材のお店』
- 不登校児童・生徒の居場所づくり「まなまなSalon」
- Webサイト制作「Mana Mahna まなまなのポートフォリオ」
に今後も力を入れていきたいと思っています。